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コーチングとは「信じること」2
生島 淳
- 「リクリエーション」の意味
エディーさんは「リクリエーション」という言葉の意味を日本人はもっと知るべきだと力説した。「レクリエーション」という和製英語になっているが、本来は「再創造」という意味だ。
スポーツ、リクリエーションとは、人間がクリエイティブになる必要な活動。スポーツをすることで、仕事でストレスを感じても、再びクリエイティブになれる。
『戦後に日本ではスポーツが持つ「リクリエーション」の本質から目を背けてしまった。学校や企業などの組織では、戦争によって覆された社会の規律を改めて落とし込むために、スポーツを道具に使った。具体的なコーチング方法として、戦前の軍隊的な風習が根強く残ってしまった。上意下達の命令形で、未だに日本のスポーツ界は、その呪縛から逃れていないように思えてはならない。』
『日本のスポーツ界は、精神性が重要視され、科学、医学、栄養学といった分野が遅れている。また、コーチンがアートであるという発想がまったく欠けている。』
PA(プロジェクト・アドベンチャー)を始めてから、レクリエーションと言う言葉は、あまり好きではなかった。振り返りもなく、ただ楽しいだけで終わってしまうのが、レクリエーションであると思っていた。
だが、エディーさんは、「リクリエーションとは、人間がクリエイティブになる必要な活動。スポーツをすることで、仕事でストレスを感じても、再びクリエイティブになれる。」言っている。
クリエイティブなリクリエーションの中には、アドベンチャー教育の中に含まれているのではないかと思う。
- 教育の価値を考える
考えない習慣、頼り切ってしまう自主性のなさは、子どものころから、コーチや先生に依存し続けているからなのだ。ジュニアレベルのコーチ達が子ども達の自主性を育むような指導法を意識しなければ、日本の選手達の精神構造は変わっていかないだろう。
エディーさんは
『現在、指導者の立場である先生やコーチ達自身も、そうした自主性を育まない教育しか受けていないので、その方法論しか知らない。どこかで、流れを変えない限り、歴史は繰り返されるでしょう。』と言っている。
作家の時間、読書家の時間、協同学習、プロジェクト・アドベンチャーなど、ワークショップ型の授業法に出会う前は、まさしく自分が幼い頃から学んできたことを子ども達にも同じようにやってきた。
今、授業やラグビークラブの子ども達に対して、大切していることは、「自分で考える」、「失敗したらみんなで考える」、「自分で考えるって楽しいかも」を、大切にしている。
最後にエディーさんは、
『リクリエーションの延長線上に、はじめて勝利を目指すスポーツがある』と言っている。
- 叱ること
『あるオーストラリアの学校でセッションをエディーさんがしたときに、生徒達の態度が悪く、学ぼうとする意欲が感じられなかった。
セッション後、先生になぜ注意をしないのかを聞いたときに、厳しく注意すると、生徒が家に帰って親に不満を言う。そうすると、今度は親が学校へクレームを言う。苦情が来たら校長が対応する。この繰り返しならば、注意する意味がない。これは、日本のどの学校でも同じ事がおきている。
エディーさんはここで「厳しいスタイルでは親から苦情が出てしまう時代ですが、だったら違う形を考えればいい話です。そこであきらめてはいけない。それが、アートなのです。違う方法を考えないのが怠慢です。」』
エディーさんのように、器用にアートな指導はできないが、まずは、情熱をもって(あついかな)向き合うことが近道だと思う。
- ジュニアの指導の問題点
『日本の指導者は、3、4歳の子どもから、タックルバックに当たって、ディフェンス練習をさせている。タックルの基本的なスキルは大切だが、ジュニアの年齢で一番大切なのは、「パスとキャッチ」。それも、どうやってパスをするかだけでなく、いつ、どのようなパスをしたらいいのか、そうしたスキルを教えて行かなければならない』とエディーさんは言っている。
アタックは「ディシジョン メイキング」決断する要素が入り、選択肢の数が膨大になるので、小さい頃からの積み重ねが必要なのだ。
日本のスポーツは、ディフェンス練習に費やすことが多い。特に野球は守備の練習が多い。アメリカは「打たなくては、野球は勝てない」という前向きなオフェンス発想がある。
指導者は、大きく点差で開かれて負けるのが一番怖いのかもしれない。指導不足と言われてしまうからだろうか。ジュニア世代の子ども達がスポーツを楽しむことが一番なのだと思うのだが、なかなか環境がそうさせてくれたないが、アートな指導法を心がけたい。